こんにちは!
ブログをご覧いただき
ありがとうございます。
私うーさ、
ドイツで看護師をしています。
ドイツに来るまでは
ドイツ語とは全く無縁の人生で
30歳から勉強を始めました。
今では渡独して丸6年が経過。
なぜ私は長期にわたって
ドイツという国に
滞在し続けているのか。
今回は
そんなお話しをしようと
思います。
私うーさは
2024年12月現在、
ドイツの一般病院で
看護師としてフルタイム
勤務をしている
1987年生まれの
日本人の女性です。
渡独してから丸6年が経ち、
ドイツで看護師として
本格的に働き始めて2年、
ドイツ語のレベルは
上級(C1)になりました。
そんな私ですが、
初めから
ドイツに憧れがあったり、
絶対移住したい!と
思っていたわけでは
ないんです。
ましてや
ドイツ語を真剣に学んで
現地で就職しようなんて
全く考えていませんでした。
そんな甘い考えで
後先考えず
海外に出るなんて
現実からただ逃げたかった
だけでしょ。
そのように思われる方は
ここから先は読んでいただかなくて
結構です。
それでも私は
自分の視野を広げたい
新しい世界に飛び込んでみたい!
という思いで挑戦し続けてきました。
その結果…
やりがいのある仕事を見つけ、
充実したプライベート時間を
過ごしながら
人生ってすごく楽しいな!
と思える生き方が
できています。
私のこの記事が
日本で辛く苦しんでいる、
今の状況を変えたい!
と思っている多くの人
届いて欲しいと思っています。
少し長くなりますが、
最後まで読んでいただけると
嬉しいです。
平凡すぎる田舎女子
改めましてうーさです!
2024年12月現在、
南ドイツの小さな病院の
緩和ケア病棟で働く
36歳の現役看護師です。
2018年に渡独して6年目、
ドイツで看護師として
本格的に働き始めて2年が経過。
ドイツに来てからの
この6年、
慣れない土地で
知り合いもいず、
日本とは異なる文化や慣習の中
それなりの苦労をしながら
過ごしてきました。
というのも私、
健康と少し運動ができること
だけが取り柄の
ただの平凡な
北海道の田舎者
だったんですよね。
看護師を目指した理由は
祖父祖母をほぼみんな
がんで亡くし、
頻繁に面会に行っていた
こともあり、
医療の現場ってかっこいいな!
自分も働いてみたいな。
という思いからでした。
そんな私を
『看護師を目指してみるのはどうだ?』
という高校時代の担当教師の
一言が後押しし、
看護学校の受験を視野に
勉強をスタート。
小・中・高校と
勉強はいつも
丸暗記だけで
乗り越えてきた私には
全く通用しない
模試や学力テストの数々…
第一希望の大学には
不合格。
滑り止め受験を
していた人の
キャンセル枠に滑り込み
病院附属の看護学校に
合格。
初めての一人暮らしと
看護学生生活が
始まりました。
夢でキラキラしているはずの
看護学生。
看護学校での勉強は
想像以上に大変でした。
病院実習では
『そんなことも分からないで
看護師になるつもり?』
『あなた、
看護師になる気本当にある?』
と指導担当の看護師に
怒られる毎日。
何度悔し涙を流したか
数えきれないほど。
自分には看護師向いてないのかな。
不安になりながら
とにかくひたすら
勉強をする日々。
そしていよいよ
国家試験本番。
合格の知らせが
届いたときには
ほっと胸を
撫で下ろしました。
初めての看護師業務
ついに看護師としての
人生がスタート。
そこは、実習とは全く違う
景色でした。
疾患の勉強や
看護技術の復習
検査手順の確認…
毎日が
勉強、勉強、勉強…
早残業をして
患者さんの情報収集は絶対事項。
定時を過ぎてやっと始まる
山積みの看護記録。
書き終わった看護記録は
先輩のOKが出るまで書き直し。
看護記録が書き終わったら
プリセプターと1日の反省会をして
ようやく退勤。
早朝から夜遅くまで
職場に拘束される毎日でした。
思っていた看護師ライフと違う、、
ときには病院を見ただけで
涙がぽろぽろ、、
そんな日もありました。
体に異変?
そしてある日、
朝目が覚めると
口が開けられない。
どう頑張っても
開かない!
異変に気がつきつつ
とにかく仕事には
行かなきゃいけない…
その日のお昼ご飯
ゼリーを流し込むように
食べていたところ
師長に心配され、
緊急で口腔外科を受診。
『ストレスで夜中に
かなり歯を
食いしばっているのでしょう。』
それが一番の原因だと思います
という診断でした。
そう言われて
ようやく
自分には
相当なストレスが
かかっているのだ
と気がつきました。
毎日食欲も湧かず
体重は激減。
精神の不調が体にも
現れ始めた
サインでした。
それに気がついた
先輩や上司が
気を遣ってくれ
ようやく
自分でも
このままでは
心も体も
壊れてしまうかもしれない
先輩や上司に
心配をかけ続けるわけには
いかない。
何かを変えなきゃいけない。
そう思うようになりました。
憧れの海外生活を実現?
少しずつ仕事にも
慣れてきた頃、
ふらっと立ち寄った
DVDレンタルショップで
あるアメリカの
ドラマシリーズが
目に飛び込んできました。
そういえば高校生の頃、
英語や洋楽を好きで
よく聴いていたんだっけ…
と何気なく手に取った作品を
観てみたら
めちゃくちゃ面白い!
それ以降
このシリーズに
どハマりした私。
映像で映し出される
楽しそうな
海外生活の様子を見て
憧れを持つように
なりました。
この頃の仕事の
モチベーションは
長期休みで年に1回
海外旅行に行くことと
休みの日に
海外ドラマを観ること。
画面に映し出される
キラキラとした別世界と
私の生きる
現実は全く違う。
仕事・勉強に追われて
自分のための時間なんて
ほぼ確保できない。
この先何年も続く
看護師としての労働に
耐えられるのだろうか…
不安と不満が募っていました。
一度、看護という
職業から離れて
憧れの海外へ行ってみたい!
日に日にその想いが強くなり
看護師として働き始め
5年が過ぎた頃。
北アメリカのカナダに
飛び立つことを決めました。
カナダ、トロントでは
まさに新しいことの連続。
欧米の文化を
存分に体験して
1年で帰国。
帰国後は
『また看護師として働くのも悪くないな。』
と思えるようになっていました。
カナダから帰国後
せっかく英語を身につけたので
英語が使える現場で働きたい!
そんな思いで
冬に外国人観光客で溢れる
スキーリゾートの近くの町で
再び始まった
看護師生活。
初めは英語を必要とされる
環境に感動し
『まさに自分が働きたかった職場だ!』
とワクワクした気持ちに
満ち溢れていました。
ですがそれも束の間、
結局は看護師業務なんて
どこも同じ。
理想的な
ワークライフバランスが
叶うことはありませんでした。
準夜勤は二人体制で
ベットは50床以上。
人が手薄な時間帯に
緊急入院の対応と
術後の患者の迎え。
それに加えて
外国人患者の付き添い人の対応も
押し付けられたりと
過酷な勤務が
続くこともありました。
結局同じことの繰り返し。
想像していたのと違う…
正直、
日本での生活って疲れる。
カナダ生活は
楽しかったなあ。
と思う日が
増えていきました。
私もそろそろ30歳。
このまま
宿舎で職場と自宅を
往復する毎日で
満足なのだろうか?
と自問自答する日が
増えていきました。
年齢を重ねるにつれ
友人や親戚との話題も変化。
女性なら結婚して
こどもを産まなきゃだよね
いくつになっても
美容と容姿には
気を遣わなきゃね
同級生のあの子は
もう昇進したんだって!
アナタは?
何気ない会話の中に
含まれる
目に見えない
社会的な圧力に
今の自分のままで居ては
ダメなんだ…
というプレッシャーを
抱えていました。
そんな中、
私の中に浮かんだ
人生最後のワーキングホリデー
という選択。
海外に飛び出す
20代最後のチャンスを
見過ごしたくない!
そう思った時には
すでに渡航先を
探して始めていました。
ミュンヘンって
札幌と姉妹都市…
ドイツの気候は
北海道に似ているらしい。
ヨーロッパの
真ん中にあって
あちこち旅行も行きやすそう。
ドイツに行こう!
年齢制限ギリギリで申請した
ワーキングホリデービザを手に
欧州滞在がスタートしました。
ドイツ生活がスタート
ヨーロッパに
到着して早々、
体調を崩した私は
1週間以上
寝込むことに。
知り合いもいず
ドイツ語も話せず
体調は悪いけど
買い物に行かないと
いけない。
私が到着したのは
日曜日。
日曜日はドイツのスーパーは
お休み。
近くにあるコンビニは
暗いし、
いかつい男の人達が
たむろしている。
一人であることの
辛さと孤独を
痛感しました。
日本にいれば
すぐ病院に行けるけど、
ここはドイツ。
病院にかかるといっても
どう手続きをしていいか
分からないし
言葉がわからなかったら
どうしよう…
すごく楽しみにしていた
ヨーロッパ滞在
のはずが
自分の無力を
思い知り、
絶望的な気持ちに
なりました。
看護師の知識を
フル活用し、
なんとか
自然回復させることが
できましたが
ドイツに来た
目的さえも見失い
日本帰りたいと
思う日々でした。
人の温かさに出会う
ドイツに来てからはすぐに
語学学校に通いました。
そこで私のクラスの担当に
なったのが
ドイツ語教師のトーマス(仮名)
彼は日本文化に興味があり、
日本語を学んでいるドイツ人。
特に親身になって
教えてくれました。
トーマスはある日、
『このコースが終わったら
日本へ移住するんだ。
お別れパーティーにおいでよ!』と
送別会に
招待してくれました。
送別会にいたのは
ネイティブの
ドイツ人ばかり。
話しかけたいけど、
会話にならなかったら
どうしよう…
そんな中
優しく声をかけてくれたのが
トーマスの元同僚、
カタリーナ(仮)でした。
カタリーナは
『今は個人レッスンを自宅でやっているわ。』
と話してくれました。
これは私も
ドイツ語を教わるチャンス!
思い切って
レッスンをしてもらえないか
聞いてみました。
返事は快くO K。
トーマスやカタリーナの
他にも
仲良くなった
チェコ人の
タンデムパートナーや、
いつも明るく気軽に
パーティに誘ってくれる
ホストマザー。
いつの間にか
私の周りには
困った時に
助けてくれて、
楽しい時間を
一緒に過ごせる存在
ができていました。
カナダ、トロントでは
得られなかった
人の温かみや
自分の居場所が
私の生活の
大きな支えでした。
カタリーナのレッスンに通い、
アルバイトをしながら
空き時間に
ドイツ語を勉強する日々。
普段の生活の中でも
少しずつドイツ語が
わかるようになってきている
実感がありました。
ワーホリビザでの滞在も
そろそろ終わり…
また日本に帰って
病院で働く自分の姿を
想像して思いました。
もう少しここに残って
生活してみたい!
だけど
滞在延長できるビザは
ありません。
私がドイツに残れる方法を
片っ端から調べました。
今の自分には
ビザをくれる
会社や企業を
探して就職するしか
道がない。
ここから私の
ドイツ就職活動
が始りました。
これ以上ない職場に出会う
片っ端から自分がやれる
仕事をリサーチ。
レストランでのウエイトレス、
清掃業務、
倉庫での仕事。
ドイツ語ができなくても
できる仕事がないか、
とにかく探しまくりました。
ある日
カタリーナに就職先を
相談しました。
『あなたはもともと
看護師なんでしょ?
看護師になるのが
自然じゃない!』
『看護〝助手〟なら
外国から来た人も
多く働いているわよ!』
正直不安
がないわけではないけど、
彼女のいうことは
一理ある。
看護師としての知識は
ある。
挑戦してみたいかも…
私の興味が湧き上がってくるのを
感じました。
その日にのうちに
人材エージェントに登録。
面接に招待されました。
そういえば
うちから最寄りの駅に
隣接している
この大きな建物って…
まさか
老人介護の
施設だったの?!
1年近く住んでいるのに
全く気にも
留めていませんでした。
もしかしたら
求人しているかも?
慌てて
施設の求人広告を探すと
看護助手が
募集中になっている!
すぐに応募し、
面接とトライアル勤務を経て
ドイツでの就職先を
手に入れることができました。
私の心の変化
就職してからは
毎日が学びの連続。
自分のやれることを
やれる範囲で
全力で取り組みました。
帰宅後は
頭も体も疲れて果て
ぐったり。
それでも
全くわからなかった
利用者さんのドイツ語が
少しわかる気がする。
同僚の書いた看護記録が
なんとなく読める…
自分の言いたいことが
カタコトでも
上司に伝えられた!
そんな風に
少しずつできることが
増えていく喜びが
自分のやる気に
つながっていました。
助手としての仕事にも
少しずつ慣れてきた頃、
介護・看護の仕事って
本当はやりがいがあって
楽しい仕事なんだと
思えるように。
日本のでの働き方が
自分に合わなかっただけで
元々この仕事は
嫌いじゃなかったんだ、
と再認識することが
できたんです。
ただ、
私がドイツで
働き続けるためには
条件が一つだけありました。
それは
ドイツ語の中級者になること。
フルタイムで働きながら
夜は語学学校へ行き、
試験に向けて勉強する日々。
仕事もプライベートも
オールドイツ語。
少しずつ語学が上達しているのを
肌で感じていました。
中級者になるための
試験には無事に合格。
次のレベルに合格すれば
ドイツで日本の看護師資格が
認められる。
毎日机に向かって勉強し、
レッスンに通い、
コースにも通い、
ドイツ語をとにかく
学び続けました。
その甲斐もあり、
試験にはなんとか合格!
前のレベルの試験を受験してから
8ヶ月後の成果でした。
ようやく日本の看護師免許を
ドイツで認めてもらうための
準備が整いました。
ドイツで看護師になりたい
外国人ナースが集まる
アカデミーに通い、
最終試験にも無事合格。
晴れてドイツで
看護師として
働けることになりました!
メソッドの確立
生徒さんが現地で就職した
発信していたら連絡をくれて、看護師として働いている方もいます
そして私のドイツ生活の今
私のドイツ生活も6年目。
語学ゼロ、
友人も知り合いも
いなかった、
ドイツ生活や文化について
全くの無知だった私が、
今では
ドイツ語の上級者になり、
ドイツで看護師になり
長年挑戦してみたかった
緩和ケアの
病棟看護師として働き、
新しい家族や友達を見つけ、
バレーボールチームに所属し、
仲間や同僚とドイツビールで乾杯する。
そんな何気ない
〝日々の生活〟を
楽しむことができるように
なりました。
日本にいた時に感じていた
今のままの自分では
ダメなんだ。
変わらなきゃいけない。
という気持ちから、
私は私のままでもいいんだ
自分のペースで
進めばいいんだ。
と思えるようになり、
生きることが
とても楽になったような
気持ちになりました。
おわりに
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。
私の人生は
もしかすると
たくさん回り道をしてきた
のかもしれません。
今まで
いろんな苦労がありました。
でも自分の挑戦に
後悔したことは
不思議と一度もありません。
壁にぶつかりながら、
挫折しそうになりながらも
進み続ける。
これをを今まで
繰り返してきただけ
なんです。
同じ場所に留まっていると
見えてこないものってあるんですよね。
私はそれを身をもって体験しました。
何かを始めるのに遅すぎる
なんてことはありません。
『今の苦しい生活から抜け出したい』
『自信の持てない自分が嫌いだ』
『挑戦してみたいけど、勇気が出ない…』
そんな方は
1人で悩まず私に聞いてみてくれませんか?
DM、お待ちしてます
私の30歳からの挑戦が
あなたの〝やってみたい〟を
少しでも後押しできたら
これ以上嬉しいことはありません。
今後はドイツの魅力も
どんどん発信していこうと思うので
興味を持ってもらえら嬉しいです!
ではまたお会いしましょう!Bis bald!
コメント